2016.03.21
アニメゲーム漫画業界で働く人へ 読書のすすめ 自己啓発本を忌避せずに読んだほうがいい理由
こんにちは!アルバイトで働いている東洋大学社会学部4年 山崎です!レトロゲームが大好きな23歳。見た目も趣味も老けている?それだけは言わないでください!
記事をお読みいただきありがとうございます。この記事は現在アルバイトとしてビ・ハイア株式会社で働いている山崎が、自己啓発本を嫌わずに読んだほうが良い理由を書こうと思います。読書100冊目標のビ・ハイアオフィスには、自己啓発本やビジネス本がたくさんあります。自己啓発本やビジネス本を読んでも仕方がないと思われている方もいらっしゃると思います。特にラクジョブをご覧になっている方の殆どがクリエイターの方だと思いますので、「ビジネス知識や成功法?そんなもの読んでど〜すんの」と思われている方が多いでしょう。
自己啓発本やビジネス本は捉え方で180度存在価値が変わります。眉唾ものの胡散臭いものともなれば、人生を変えるバイブルにもなりえます。もし「読書が好きでも、あんまり自己啓発本読んでないな」という方は全く読まないよりも読んでおいた方がいいでしょう。特にこれから新年度が始まり、新社会人の方は新しく社会の荒波へ繰り出すのですから、メンタルヘルスという面でも非常に役に立つツールです。
結論から言うと役に立つ
私の結論は冒頭でもそれなりに書きましたが、役に立つと考えています。ではなぜ役に立つのかですが、自己啓発本を読むとどうなるかというと、元気が出ます。私個人的な意見で恐縮ですが、ハッキリ言って「読んだら絶対成功できる」とか書かれてあるものを読んだとしても「絶対に」成功できるとは限りません。実際に実践されて成功されるケースもありますが、世の中には「絶対」というものはありませんから、これはいくら偉い学者さんでも誰も保証できません。では何のために読むのかといえば、精神安定剤として読むだけでも良いと十分だと思います。
自己啓発本は分かりやすく言うと、お悩み相談に近いものでしょう。自己啓発本の多くは読者に語りかけるようにして書かれているものが多いですから、理解しやすい言葉ですんなり認識に変化をもたらします。「それこそが洗脳なのだ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。もちろん特定の考え方に固執することは非常に危険ですが、のめり込みすぎず、いろんな本を読んでいけばそのような事態は回避できると思います。それよりも、元気になる方法の一つとして捉えることで、それだけで自己啓発本の利用価値は十分にあるでしょう。
政府の統計によりますと自殺率は5月でピークを迎えます。要するに、この記事がアップされてからしばらく経つと、日本人は希死念慮の猛威に晒される危機に瀕するのです。この危機を救ってくれる方法はたくさんあります。それこそアニメゲームマンガがお好きな皆様でしたら、アニメゲームマンガに耽るのもありでしょうが、「現実逃避」というレッテルを貼られている行為だけあって、「嗚呼、またアニメゲームマンガに逃げてしまった…」という風に落ち込みかねません。そこで読書はオススメです。読書はアニメゲームマンガと違い、基本的には自己や著者との対話が絶えず繰り返される行為ですから、ダイレクトに思考している事象に効き目がある(可能性が高い)のです。
自己啓発は胡散臭い?
自己啓発本という存在についてそれほど良いイメージを持たれない方々がいらっしゃると思います。というのも、「どうにも胡散臭い雰囲気がする」だったり、「いいことばっかりしか書いていないから信用できない」だったり、「何でお前に人生を説かれなきゃならんのだ」という風に思ってしまったりなど、その理油は様々でしょう。「意識高い系」だと思われたくなかったり、我々日本人の「宗教アレルギー」に近いようなものがあるようにも思えます。オウム真理教の一連の事件から、日本は宗教アレルギーの傾向がより一層強まりましたが、それと関連して少しでも胡散臭さを感じるものを、自分が体験する前にシャットアウトするという傾向にあると思います。本を売る方もビジネスですから有料セミナーや有料メルマガを勧めてくるものも多くあります。そういうのも影響して胡散臭さが増したりしているのでしょう。
このようなものは、本の宣伝や利益のためのビジネスであるという視点を持っているだけで、引っかかず本を読むことができるはずです。有料メルマガや有料セミナーは本に書かれていることの延長線のような気がしてきますが、「別の商品」として捉えれば簡単にお金を出したりはしないはずです。弱気のままこのような本を読んでしまうと「セミナーに参加しなきゃ」とついつい参加してしまいがちですが、消極的な思いから参加しても身にならないでしょう。
本を読むということは記憶との対話
読書、あるいは文字を読むという行為を「知識のダウンロード」という風に捉えている方は要注意です。読書、文字を読みそれを認識するということは、実はダウンロードではなく、記憶との対話と表現する方が近いのです。明治大学教授の斎藤孝さんは自著の中で、「本はIQで読むものではなく知識で読むものだ」と書いています。どれだけ頭の回転が早くても、知らない分野のことをたちどころに理解できる人はいないのです。認知科学者の苫米地英人さんは、「人間は知っていること以外認識できない」と自著の中でいい切ります。要するに、我々は読書をするとき、全く新しい知識に触れても理解できません。その本に書いてある既に知っていることを手掛かりに、未知の知識を自分の認識、記憶の中に結びつけるのです。
記憶は変えられる
認知科学の領域では、記憶は曖昧なもので、合成することも可能であるということが言われています。昨年にはマウスの脳を操作して2つの記憶合成に成功したことがニュースで取り上げられました。
マウスの脳は人間の脳を小さくしたようなもので、かなり構造が似ているのです。このニュースから人間の記憶も何かしらの操作をすることで記憶を操ることができる可能性があるのだと思います。そもそも記憶とは曖昧なものです。人間は忘れる生き物です。しかも忘れ方や記憶の残り方は非常に断片的です。ブルーな気持ちになっているとき、人はその記憶に囚われているだけです。しばらくすれば忘れますが、いつの間にかブルーな気持ちが誇張され、膨張され、いつまでたっても臨場感たっぷりにその記憶の体験をループするようになってしまうと、うつ病などの精神疾病と診断される状態になってしまいます。
先ほど、読書は記憶で行うものだということを書きましたが、自己啓発本は現実的な話は取り敢えず置いておいて、人生訓だったりいいことが書かれていたりしますから、斜に構えず素直に言葉を読み取ろうとすると、いい記憶が呼び起こされます。一番良いのは著者の視点になって読むことです。すると自分の記憶と結びつけて、著者の体験を文字情報から読み取り、共感することができるようになると思います。今、自分でも文字にしていて「これって怪しい状況だな」と思いましたが、ずーっとブルーな気持ちをフィードバックさせて停滞するよりも、楽しかった気分を原動力に変えられる方が得です。無駄で辛い時間を過ごさずに済みますし、自死を選ぶこともないでしょう。胡散臭いと思われがちの自己啓発本界隈ですが、読んでみると新しいことに気がついたり、心が落ち着いたり、元気が出てきます。健康を犠牲にしないと得られない成功よりも、まずは心身の健康に目を向け、毎日を充実させることが先ではないでしょうか。胡散臭いと忌避することなく読んでみることをお勧めします。一番大切なのは、自己啓発本だろうが宗教のかおりがする本だろうが、いろんな本を読むことです。結局オチはそれか!
自己啓発本に関してはラクジョブの運営をしているビ・ハイア株式会社副社長である平田の記事も非常に参考になると思います。
メンタルを整えて楽しく新年度を迎え、五月病に屈しないようにしていきましょう!