2016.03.04
読書もデジタルゲームも、古典に触れることは大切!
こんにちは!アルバイトで働いている東洋大学社会学部4年 山崎です!レトロゲームが大好きな23歳。見た目も趣味も老けている?それだけは言わないでください!
記事を読んでいただきありがとうございます。この記事は現在アルバイトとしてビ・ハイア株式会社で働いている山崎が、「読書で古典を読むことが大事なら、アニメ・ゲーム・漫画でも古典に触れることは大事なのでは!」という疑問を持ち、ゲームに絞ったうえで頑張って読者の皆様にお伝えする記事です。ゲームに少しでも関わる会社に就職する方や、「古いゲームなんてやったって無駄。それではどんどん開発が進むゲーム業界に追いつけ無い」と思っている方などに読んでいただけたら嬉しいです。
読書と古典の重要性
あ、あれ…ゲームについて書かないの?という方、しばしお待ち下さい。そもそも古典、すなわち源流を学ぶ重要性というものをお伝えしなければ、続く「ゲームの古典」をやる意味が説明できません。でも少し長くなりそうなので、興味が無い方は飛ばしても大丈夫なようになっていますので、次の見出しへどうぞ。
さて、読書における古典の重要性を説いたもので有名なのは、度々清水社長の書く記事に登場するドイツの学者、ショーペンハウアーの著作「読書について」でしょう。この著作の要点の一つとして上げられるのは、「新刊ばかり多読したってダメ。古典をしっかり読まないとアホになる」ということです。ショーペンハウアーはかなり辛口なので、新刊の多読について「無意味、むしろ害悪」と叩き斬っています。そして古典を読むべしという理由もすっきりしていて、「古典は当たりが多いから」です。この当たりは「読書について」の根幹である「考えることを放棄することへの問題意識」をしっかり理解していないとおそらく誤解されてしまう意見でしょう。
当時でも現代でも言えることだとは思いますが、新刊は現在の我々の言葉で、専門書でない限りは一般の人々に売るために、ある程度分かりやすく書かれています。しかし古典はそうは問屋が卸さないのです。出版されていたとしても時代背景も違えば言葉遣いだって馴染みがありません。読むのに苦労します。それでも古典を読めというのは、古典というのは「後世まで伝えられるほどの価値ある思想」であり、その多くがその著作が顕す分野の「源流」もしくはそれに近い、あるいはそれらをベースにした様々な分岐点になった考え方であることが確かだからです。悪書を読むよりも、こういうものを読みなさいとショーペンハウアーは説いたのです。書かれている内容が源流や分岐点であればあるほど、理解するのに非常に困難です。なぜなら「素人」とまではいかないものの、その分野の新しい理論を語っているわけですから、主張があまり練られていなかったり、突っ込みどころがあったりと様々です。
さて、長くなりましたが、いよいよ本題です。ゲーム体験にもこういった視点を持ち込んでも良いのではと思うのです。
レトロゲームをプレイすることの重要性
読み飛ばしてしまった人へ前節のおさらいですが、「古典を古いものとしてみるのではなく、現在まで残っているだけの価値があるのだから、新作だけではなく、そういうものを読み、考えることはとても重要」ということです。あえてショーペンハウアー風にゲームに関していうなら「新作ばっかりやったってダメ」なわけです。うわー!山崎お前、アルバイトだろ!生意気もいい加減にしなさいという声が聞こえてきそうです。重要ですが、新作ゲームのことを悪く言っているのではありません!ここはショーペンハウアーと違って重要です!新作ばかりやっている状況ではありませんか?ということが言いたかったのです。
作り手の子ども時代の遊びを考える
さて、私はよくゲームをしているときに、「この作品の作り手は子ども時代をどのように過ごしたのかなあ」と想像します。現代のクリエイターは僕と同じ世代や少し上の方々がすでに活躍されています。すると、すでに子ども時代にゲームはあったわけです。その方々は子どもの頃の遊びにゲームが深く関わったと思います。自分がやったゲームに触発され、いつか自分もこのようなゲームを作りたい!という思いから業界に入ったという方は多いでしょう。
では、僕がまだ生まれていなかったファミリーコンピューターやスーパーファミコンの時代にゲームを作っていた方々の子ども時代はどうだったでしょう。スーパーマリオを世に出した宮本茂さんの生年月日は1952年11月16日です。高度経済成長期の真っ只中に生まれ育った彼らの世代は、子どもの頃の遊びには間違いなくゲームではないでしょう。彼らの遊びにはベーゴマやメンコまで遡らなくとも、外で遊んだり漫画を読んだり、ゲームではない別の体験をしているはずです。デジタルゲームという分野の源流を辿ればアタリ社のPONなどが挙げられるでしょうが、ゲームを爆発的に認知させ、我々の生活に浸透させたのは間違いなくファミコンです。ファミリーコンピューターで発売されたソフトは今もなお輝きを失わず、絶えずリメイクが繰り返されています。
19回。何の数?
(画像提供元:Amazon)
これはスクウェアが発売した「ファイナルファンタジー」はリメイクと移植を合わせた数です。来年で30周年を迎えるファイナルファンタジーは価値あるゲームとして今もなおプレイされ続けています。当時のグラフィック性能では現在のようなリアルな描写はもちろんできませんでした。「ドラゴンクエスト1」のファミコン版は上下左右どの方向に移動するときもキャラクターは正面を向いたままです。キャラクターはずっとこちらを向いたまま会話をするのです。これは今もですが主人公のセリフはありません。そのような状況ですと、当時の子どもたちが働かせた想像力は、今のゲームに慣れ親しんだ我々よりも何倍もあるでしょう。今のゲームよりも、想像し、考えなければ楽しめなかったのです。
それでも面白いのは何故かというと、レトロゲーと呼ばれて久しいゲームを制作した開発者は、我々世代より広い範囲の遊びの引き出しを持っているからだと思います。ゲームで得た体験が下地にあり、そこからゲームを作ることは、もちろん間違ったことではありません。「カービィ」や「スマブラ」を作った桜井政博さんは自信をゲーム少年だったと振り返っていますし、そうした子ども時代のゲーム体験から素晴らしいゲームを作られる方々もいらっしゃいます。
外遊び?かけっこ?我々はもう子どもじゃないんだぞ、誰がするもんか!結構です。でもせめて、そうした遊びを経験した方々が作ったゲームを遊ぶということは、ゲームを制作したり、ゲームの魅力を伝えたりする仕事をする上では必要なことなのではないかと思うのです。
遊びの引き出しを持っておくことはとても重要です。本当だったら一番いいのは「彼らが体験したであろう遊び」をもう一度体験することでしょう。子どもと一緒にかけっこしたり、泥で遊んだり、メンコやベーゴマで競ったりするというもっと抽象的な遊びの体験を得られる行為だと思いますが、忙しい上に日々疲れている方々にそういうことをやれ!というのも限度があります。その範囲をあえてゲームに絞るなら、「自分はゲームが好きなんだ!」という自覚がある若いクリエイターの方にこそ、レトロゲームは遊んでおいて欲しいと思うのです。
歴史を見渡そう!日本未来科学館のイベントがアツい!
http://www.gizmodo.jp/2016/03/miraikan_game_on.html
日本科学未来館では、「GAME ON ゲームって なんで おもしろい?」というビッグイベントが3月2日から5月30日まで開催中です。この記事によると展示されているものは試遊ができるものがほとんどらしいので、ゲームの歴史を臨場感たっぷりに体感できるすごいイベントです。山崎も行きたい!業界発展のためにも、新旧世代を問わずゲームに触れる人がもっと増えればいいなと思い、長々と書かせていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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